続かわねこ作成日誌

Tomyです。日々のあれこれ、レザークラフト作成記録にハンドメイドの事等々綴る雑記。

あれから11年

スポンサードリンク

かれこれ11年前、私はこんな日記を書いていた。

 

92歳の目標

うちのおばあさんは92歳になる。 長生きだ。

年寄り特有の病気などもあるけれど、 年のわりには元気である。耳は遠いし、目も緑内障にかかっているが、 不思議と人の噂話はよく聞こえるようで、 私がおばあさんの家を訪ねると、よく家族の噂話を話してくれる。そして時には昔の事もポロポロと話をする。1世紀近くも生きてきたのだから、沢山の出来事があっただろうけど、 あまり多くは話を聞いたことが無いのだが。

 

おばあさんは昔は博多に住んでいた。私の母が小学生の頃にこの広島に越してきたらしい。50年くらい前の事だろう。なるほど、そう言われてみると、おばあさんは博多弁をしゃべっているなと気がつく。

 

戦時中おじいさんは、兵隊に行っていたらしい。家族はもう帰ってこないだろうと思っていたようだが、 ある日ひょっこり帰ってきて、家族はビックリしたんだとか。 私のおじいさんの記憶と言えば、 おじいさんは背が高く、白髪あたまで、 頑固な人だった。姿勢がよくて、杖をつくのを嫌った。 コーヒーが大好きで、私の弟をすごく気に入っていて、 弟はよく近所の喫茶店に連れて行ってもらっていた。仕事柄、地方によく行っていたようで、 家にはペナントやこけしなどお土産の置物が沢山あった。そんなおじいさんは20年くらい前に他界した。

 

おばあさんも昔はよく旅行に行ったらしい。 京都に行った時の思い出をよく話す。 他にも、誰に会いに何処そこへ行ったとよく話をする。 沢山登場人物が出てくるんだが、私には誰だか分からない。そして最後にはいつも、 「もう年だから、旅行には行けないね。 若いうちに沢山行った方が良いよ。」と言うのだ。

 

おばあさんの日常生活。 ちょっと前まで、洗濯を干すのはおばあさんの仕事だった。 大きなカゴに家族の洗濯物を沢山いれ、家の2階まで持って上がって干すのだから、 もの凄い労力に違いなかったが、それが元気の秘訣だったかもしれない。

たまに病院に行く。 手押し車を押しながら行く。 若い人なら15分ぐらいの距離だが、おばあさんにはかなりの遠出だろう。 たまにお寺にも行き、しばしば、 デイサービスに通う。 デイサービスで、カレンダーやら色々作ってきて、 出来たら見せてくれる。

少し前に、一緒に出前をとってラーメンを食べた時の事である。 おばあさんは五目ラーメンを注文していたが、 一人でもくもくと平らげ、さらに餃子まで食べていた。 量が多くて、私は一人で食べきれないくらいだったのに。 おばあさんの元気の秘訣はよく食べる事にもあるだろう。

 

そんな、 おばあさんが先日入院した。 いつも元気そうだったので、 みんな体調の変化に気がつかなかったという。 呼吸が苦しくなり、近所の病院に行って見てもらい、その後大きい病院に、入院する事になった。

私が病院に行くと、酸素マスクをつけておばさんはベットで寝ていた。 すっかり弱った姿を見て、 いつも元気で私が小さい時から、変わらない姿でいると思っていたが、 もう年なんだと気がついた。肺に水が溜まって呼吸が苦しくなったという事だった。 

入院した次の日再びお見舞いに行くと、丁度晩御飯の時間で、 おばあさんの食べる様子を見ていた。 朝は、食欲が無かったらしいが、夜は調子が良くなったのか、 黙々と食べ続けかなりの量を平らげていた。 流石、おばあさんだなと感心した。 おばあさんはベットから動けない状況にあったが、 このまま寝たきりになってはいけないと、 手をグーパーグーパーしたり、 脚を曲げたり伸ばしたりしていた。 そして、「命を助けてもらえて良かった。これであと2.3年は生きれるね。」と言っていた。

それから1週間後、 また見舞いに行くと、 手をグーパーグーパーするくらいしか出来なかったおばあさんは、 驚く事に腕を上げたり下ろしたり出来る程になったいた。 そして腕が途中までしか上がらない事に、 「腕がここまでしか上がらない。」と言っていた。

そして入院してから、2週間が過ぎ、 おばあさんは退院する事になった。 退院前に、 「なんの役にも立たない年寄りだけど、 家にいないと、ひ孫が学校から帰って来た時、いなくて寂しいと言うから、 少しは役に立っているね。」と言っていた。 退院したおばあさんの家に行くと、 呼吸器も付けずにソファーに腰をかけていた。 病院ではうつろな表情であったが、 以前と変わらない表情に戻っていて安心した。 おばあさんは私が見舞いに行くたびに「ありがとう、仏様とみんなのおかげで命が救われて良かった。」と言う。 私は何もしてないんだけど。

 

おばあさんの人生の目標は、 今まで聞いた中だと、 自分の葬式代は自分で出せるようにお金を貯める事。 少し前までは100歳まで生きるのが目標だったが、 今はあと2.3年は生きること。 そして、子や孫、ひ孫と一緒に温泉に行くことだ。 

 

 

 2017年現在

 

あれから11年が経ち、おばあさんは今年103歳になる。

 

https://www.instagram.com/p/BTL3wcPjJ_U/

#103歳

 

 

子供や孫、100歳違いのひ孫にも囲まれて温泉に泊まる。