続かわねこ作成日誌

続かわねこ作成日誌

Tomyです。日々のあれこれやコゲ猫の事、レザークラフト作成記録にハンドメイドの事等々綴る雑記。

私がハンドクラフターになった理由~駆け出しクラフターのぼやき~

スポンサードリンク

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」にチャレンジ。

 

 

仕事というにはまだまだ全然で、お恥ずかしい状況だが、今は一応ハンドクラフターをしているのか目指している途中なのか。といった感じ。

 

leather crafter/レザークラフターでも良いんだけど、レザー以外の物も作っているので、ハンドクラフターとしてみた。

 

「crafter/クラフター」=「工芸作家」って事らしい。

ハンドって付くから「手工芸作家」って意味だと勝手に思ってるけど。

 

 

 

ハンドクラフターになるまで。

 

ホームセンター時代

高校を卒業後、ホームセンターに販売員として就職した。本当は本屋さんになりたかったんだが、不景気&就職難で本屋からの求人は無かった。当時、高校生の就職は大学生とは違って、高校に求人がきたらその中から選び、校内で選抜されて面接を受けに行くスタイルだった。今はどうだか分からないけど。

 

ホームセンターに就職すると自分はペットコーナーをまかされる事となった。(動物嫌いなのに)熱帯魚・金魚・小動物・小鳥を取り扱う卸問屋に研修に行ったりさせられた。同期の子達は、園芸コーナーや日用品コーナーなのによりによって動物嫌いな自分が何故?「先輩に自分は動物が嫌いなのに、やっていける自信が無い」と相談した事もあったけど、「嫌いだからこそ出来る事があるだろう。」と言われて頑張ってみる事に。

1年後隣の県に移動となり売り場チーフに昇格する。と言っても、社員の数が少なく、社員はもれなくチーフなのだ。若干19歳にしてパートとバイトを従え指導しなければならなかった。先輩社員からは「社員はパートやバイトと仲良くするなよ。」と言われていた。指導がしにくくなるからそんな事を言ったんだと思う。年頃が近いといえばバイトの子ぐらいなのに、友達も出来ず3年の月日が流れた。接客は苦手だったが、販売は面白かった。自分の采配で売り上げが伸びるから。毎日が仕事と家との往復。田舎だったのでまわりに遊ぶ所も無くて当時はネットがなかった時代。(今の若者には想像もつかないだろう)悩みがあっても友達や親に相談する事も出来なかった為、心はどんどんすさんでいき、ただでさえ無愛想だった私はお客さんからクレームになっていて、怒られるのはパートのおばちゃんだった。(若かったのでバイトだと思われていた・・・)

もしあの時代ネットがあったら、もっと続けられていたかもしれない。

数年後結局仕事を辞めてしまう。

 

今はもうその支店は無くなっている。

 

 

ワンマン社長の経営する小売店時代

 

地元にもどり今度は営業事務の仕事についた。

その会社はワンマン社長が個人経営する会社で社長は常に誰かに難癖をつけては罵声をあびせていた。自分がこれまでに聞いたことのないような汚い言葉だった為、むしろ意味がよくわからなかった。最初の頃は自分にまでは被害は及んで無かったが、人が次々辞めていくものだから、ついには自分の所にまで被害が来てしまった。簡単に言うと「お前わしの事を無視しただろう」と言われ、他の社員全員にも「あいつはワシの事を無視したんだ」と言っていた。最終的には「お前なんか辞めてしまえ~!」と言われたので、これはチャンスと思い「じゃ、辞めます」と言って辞めた。今思えばあの社長はかなり頭がおかしかったと思う。今はもうその会社は無い。無くなって本当に良かった。

当時社長にすごいセクハラされて虐められていたおばあさんがいたんだが、最近とある施設の清掃員として働いているのを見かけた。向こうはおばあさんだからもう自分の事なんて覚えてないだろうけど、その姿を見て安心した。ただ、その年になってもまだ働かないといけないのかな?という疑問がわいたけど。

 

仕事を辞めてからはしばらくパソコンを習いに行った。

 

私が就職活動する時は常に就職難で、資格をとってもとってもライバル達はもっと沢山資格と経験を持っている。

 

短期の派遣で食いつなぎ、なんとか長期の派遣の仕事を見つける。

 

 

派遣社員時代

 

パソコンを習ったおかげで、なんとかOAオペレーターの仕事につけた。派遣先の企業は地元では大きな方で、コンプライアンスもしっかりしていてセクハラなんて無い。

同じ派遣の女の子も多くて友達も出来た。定時に帰れて長期休暇もあって海外旅行にもちょくちょく行っていた。習い事も色々出来た。この頃が一番幸せで、この幸せがある日突然無くなるなんて当時は思いもよらなかった。

 

そうあのリーマンショックが起きるまでは。

 

2008年9月15日におきたリーマンショックは世界中だけでなく、こんな小さな国の地方都市に住む私の生活も一変させた。

 

派遣切りだ。

 

私だけでなく、一緒に働いていた友達もほとんど辞めさせられた。仲が良かった子もバラバラになってしまった。

 

社員さんともどんなに仲良くしてたって関係無し。派遣で残れたのはベテランの通訳さんと一部のCADオペぐらい。

 

 

 

 

派遣切りにあって考えた。

 

これから先もこんな事があるだろう。より重要な職種についていないとダメだという事。そこで私は経理を目指すべく、職業訓練校に入り簿記を勉強した。学生時代から考えてもこんなに勉強した事は無いというくらい勉強して、目標としていた資格は取れた。

 

しかし。

 

世の中には同じように職にあぶれた人がごろごろしており、資格があったぐらいじゃ経理の仕事につく事は出来なかった。重要なのはやはり経験だった。

 

 

短期の派遣といじめ

 

とりあえずその場つなぎで短期の派遣で働く。OAオペレーターだ。

 

派遣先の企業に行くと、私より数日早く入った派遣の先輩がいた。おばさんだった。

分からない事があったらそのおばさんに聞くように言われた。おばさんは人当たりが良く気さくな人だった。で、私は分からない事はおばさんに聞いたんだが、経験のあった私は飲み込みも早く次第におばさんでは答えられないよな質問をしてしまう。そして全体的な仕事のミスまで発見してしまう。仕事も早かったので、派遣先からも派遣の営業からも誉められた。

 

するとどうなるだろうか。

 

おばさんにいじめられるようになった。

 

短期なので耐えようと思った。

 

電車通勤していたのだが、ある日から周囲の目が怖くなってきた。他人がなんか怖い。これはやばい。私は家族や昔の職場で鬱になる人をよく見ていた。このままでは自分は鬱になってしまう。いやもうなってるのか?

派遣の営業さんに連絡すると営業さんはとてもいい人で、すぐに配置換えをしてくれた。そして業務が多かったので新たに二人入って来た。

 

するとどうなるだろうか。

 

その二人もおばさんにいじめられた。

 

そしていじめられた三人はおばさんがいない所で仲良くなった。

短期だったのでその仕事はなんとかまっとうする事が出来た。

 

それ以来私は、チュニックを着たおばさん恐怖症になった。

 

 

契約のパートタイマー

 

短気の派遣後結局、県の緊急雇用対策基金事業というのを利用して、町工場の総務事務の仕事にありつけた。半年後には、直接雇用となった。契約内容は1年ごと更新の契約パートタイマー。契約時に総務の部長は「1年ごとの更新だけど、更新が無いなんて事はないから。」と言っていた。私はなるほど。そうなんだなと素直にその言葉を信じた。

 

そして約1年後。更新は無かった。

 

何故更新は無かったんだろうか?

 

私はその会社の第二工場の総務事務をしていました。第二工場事務員は私一人でした。私がいるかぎりは、事務員に空は出ません。でもその会社はハローワークに求人を出していました。なぜわかったかと言うと履歴書が届いていたのです。何か変だなとは思っていました。

 

推測ですが、その工場は海外進出をもくろんでいて、事務に中国語が出来る人材が欲しかったんだと思います。で、ちょうど求人に中国語が出来る人が来ていたのです。次の契約更新は無いかわりに、私にも一緒に面接を受けるように勧められました。一応受けましたが、受かるわけがありませんでした。出来レースです。

 

私のかわりに来た人は中国語が出きる20代前半の若くて可愛い女の子でした。二週間程で引き継ぎをしました。数年後その子は寿退社します・・・。

 

またもや急に仕事が無くなりました。

 

 

CADオペレーターの仕事

 

私は途方にくれていましたが、都合よく何年も連絡が無かった派遣会社から急に連絡が来て、とても条件のいい仕事につく事が出来ました。最初は一般事務をしていました。その仕事は毎日とても暇だったので、ハンドメイドの販売方法について研究していました。それでも暇だったのでCADの使い方を本を見ながら自習してました。そうしていたらCADオペの仕事をまかされるようになりました。CADオペの仕事は自分にとてもあっていました。パソコンが好きなので何時間見ていても飽きないし。

 

とても条件の良い仕事でしたが、結婚を期に辞めました。

新居が山奥だったのでとてもじゃないけど通えなかったんです。

 

 

ハンドクリエーターを目指して

 

山奥から通える範囲にCADオペの求人はありません。

 

前々からやりたかったハンドクリエーターとして活動していく事に決めました。

 

文句も言わずに真面目に働いててもある日急に仕事が無くなったり、嫌な事にも脳みそOFFにして『YES』と答えるだけの日々はもう嫌なんだ。

 

沢山の仕事をして来ました。

販売・営業事務・総務事務・一般事務・OAオペレーター・CADオペレーター。

こうして書き出してみると自分でもビックリするのですが、職種がてんでバラバラです。でも一つわかっている事があります。これまでしてきた仕事すべてがこのハンドクリエーターという仕事をするのに必要だったんです。

 

まず作るのに図面をかかなければなりません。作ったら売らないといけません。売れたら帳簿をつけないといけません。あちこち渡り歩いたように見える仕事がつながりました。

 

まだまだ駆け出しだから食べていけるには途方もない状況です。

 

どちらかといえば、売れないミュージシャンや売れない役者、売れないお笑い芸人みたいなそんな夢みたいな仕事かもしれません。

 

パートやバイトしないと食べていけないかもしれません。

 

 

ただ一つ心にのこっている言葉は、

 

平野レミさんの、

 

『自分の気に入った仕事を色々やってふと振り返った時に、自分の好きな道を進んできたなと。』

 

という言葉。

 

今でも迷っている自分の背中を押してくれる言葉です。

 

 

 

 

f:id:Tomy103103:20160116204141j:plain